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一生涯5,000万円生活

2016-05.29 Sun直でないことの良くなさ

Time[21:20] Comment[0] Trackback[0]
 先月、ナショナルジオグラフィックが2冊届いた。 ナショジオから直と、Fujisan.co.jpから。

 3年前にFujisan.co.jpから定期購読を申し込んで、毎月イカす見た目(透明なビニール包装から見える表紙だが)で届いていたのが、それプラス茶封筒入りのものが1日遅れて届いたのだ。 色気も何もない。

 何かの間違いかと思ってFujisanに問い合わせたら「うちは紙封筒に入れて送ってるから、もう1つは知らん。 どっかであんたが間違えて二重に注文したんじゃねぇ?」ということをもう少し丁寧に書いて返信してきた。 まあ、知らないものを知らないと言ってるわけだが、あまりにも愛想な上に、私のせいと決め付けかよ。

 そして今月。 両方揃うまで待ってから開封してみたところ、正体がわかった。 ナショジオは、「定期購読期間が終了したけど、購読続けるよね?」と、新たに代金を払う前から途切れることなく送ってきていたのだった。 もし、読者にその気がなくても、まさか返せとか金払えというわけにはいかないだろうに、随分サービスのいいことだ。

 こちらは購読を続ける意思はあるものの、今回もFujisanで申し込んでいるので2冊はいらない。 率直に言って、今回の対応を比較すると、Fujisanよりもナショジオを採りたいところなのだが、代金支払い済みなので、ナショジオ直送を切るのは仕方ない。


 というかさぁ。 ナショナルジオグラフィックほどの有名誌が、定期購読終了後にどういうことをするか、雑誌を専門に扱うFujisanは知っていてしかるべきなんじゃないか? 私がFujisanにナショジオ3年定期購読を申し込んだのは今回が初めてじゃないのだから、「ナショジオからサービスで送られてるものだと思います。」くらいの説明はできてほしい。

 
 次の更新はまだ3年も先のことだが、Fujisanを経由することはできるだけ避けようと思う。 最低限、毎月送ってきてくれれば十分だけど、何かあった時の対応がこれでは、間に入れる値打ちがない。
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2016-04.27 Wed性と愛の脳科学

Time[21:46] Comment[0] Trackback[0]
 まともで科学的な本なのに、なぜ帯に「自分に幻滅したくない人は読まないで下さい。」とか書いてあるの? これじゃあ、ネットに溢れる胡散臭い広告バナーだよ。 中央公論社の編集者は、ネットに毒されているか、そんな広告見たことないくらいに真面目なんだろうか。

 この本が扱っているのはのは主に3つ。 ジェンダー、性欲、そして愛である。 これらを、脳の構造や活動から説明しようというものだ。 私にはよく分からないが、愛を、化学物質が脳内で作用する結果だという主張をすると怒り狂う連中がいるらしく、この本を出すのはある種の冒険であるらしい。

 科学雑誌(私は日経サイエンス)を読んでいると、オキシトシンやヴァソプレッシン、薬物依存や脳の快楽回路といった話はちょくちょく目にするが、この本ではそういった研究を過去からの経緯も含めて、より詳しく解説してくれている。 
 
 ジェンダーについては目にしたことがないので、特に興味深い。 既に確定的なことが分かって決着が付いているわけではないだろうが、それでも、世の中に蔓延るいくつかの偏見が、科学的に否定しうるというのは大事なことだ。


 愛の神秘が全て脳の働きで説明できるとしたら、愛はなくなってしまうだろうか、我々は愛することをやめてしまうだろうか。 これは、この本のような主張に憤る人が、怒る理由だと思うが、筆者らは自らに問い、そして答えている。

 薬物依存者に、依存が起きる脳のメカニズムを説明して理解させたとしても、薬物依存が治るわけではない。 愛についての脳の働きを全て解明して理解したとしても、愛することをやめることはない。

 そのとおりだと思う。 人間は、物事の仕組みを知ったからといって、そのことから影響を受けなくなったり、無関心になったりはしない。 そんなものは、元々大したものじゃない。
 読後に、この本の内容を理解して受け入れた自分がいたからといって、何に幻滅することがあろうか。
  

2016-04.18 Monダーウィンの覗き穴

Time[21:58] Comment[0] Trackback[0]
そして、「生きものたちの秘められた性生活」。


 2冊目はタイトルそのままだが、どちらも生物(人間以外)のセックスについて書いた本である。 あなたが昆虫やナメクジ、鳥やネズミの交尾に興奮するタイプなら別だが、エロ本ではない。 どちらかというとあまり気味の良い内容ではなく、図版があまり載っていないのは、人によってはありがたいことかもしれない(私は文章から状況を想像できないので、図がほしかった)。

 日経サイエンスで紹介されていたものを購入したので、概要しか知らなかったのだが、「生きものたちの~」はエッセイ集で、様々な生物の(人間から見れば)風変わりな性交に触れているものの、突っ込んだ内容ではなく、著者が研究者の話を聞きに行ったり、フィールドワークに赴いたりしたことを書いている。

 まあ、この話に興味が湧いたら、本格的に専門書を読んでみたらいいんじゃない? という感じだ。

 そして、その専門書が「ダーウィンの覗き穴」である。 といっても、こちらも特定の事柄を事細かに説明しているわけではなく、交尾器や生殖行動の進化(性淘汰)について語るための様々な具体例として、個々の生物を取り上げている。


 どちらを読んでも、自分がいかに無知で、人間を基準にしてしか考えられない想像力の貧困な存在であるかを思い知らされる。

 難しい数式や理屈が出てくることはないので、気軽に読めて興味深い本だ。 ただ、前述のとおりあまり図版がないので、人間どころか哺乳類ですらない生物の交尾の様子を、言葉だけから想像するのは難しい。 多分、ネットで検索すれば動画や写真が見つかるだろうから、そうやって読むのが良さそうだ。
  

2016-04.06 Wedガリレオ裁判

Time[21:23] Comment[0] Trackback[0]
 一昨年になるが、日経サイエンスに 「地動説への反論」 という記事が載った。 現代ではともかく、コペルニクスが地動説を主張した当時、いかに天動説が説得力を持っていたか、つまり、当時の科学者が地動説を退け天動説を採用し続けたことは科学的に正しい態度だったという意見である。

 それよりずっと以前に読んだファイヤアーベントの「知との対話」(邦題)にも、『地動説に反対した科学者は当時最高峰の天文学者であり、天動説はもちろん地動説についても知悉していた』と書いてあった。 それから、どうも天動説だのガリレオに対する宗教裁判だのは、学校で教えられたようなものではなったのではないかという考えは抱いてきた。

 そして、その答えが岩波新書 「ガリレオ裁判―400年後の真実」 だ。 ヴァチカンに保管されていた文書から当時を読み解いたもので、一般的なイメージからはかなりかけ離れた真実らしきものを知ることができる。 「らしきもの」とつけたのは、欠けている文書があったり、そもそも記録のない部分については状況から推測せざるを得ないからで、説得力はあるものの推測は推測だからである。


 意外なことに、当時の教皇も含めた少なくない聖職者が、ガリレオと地動説に対して非常に好意的であったらしい。 さらに、天体運動の計算については、天動説よりも地動説の方が優れていると認めてすらいるのである。 人の住む地球が世界の中心にあるから地動説は間違っている、などという話は出てこない(もちろん、そういう考えを持つ人もいただろうが)。

 ただ、地動説で天体の動きを上手く説明できるからといって、それで地球を中心に太陽や惑星が回っているという世界観が覆るわけではない、ということである。 私も宗教的な信仰を持っていないのでそういう発想を正しく理解できている自信はないが、おそらく、科学は単に実用上のテクニックであって、世の真理を示すものではないということなのだと思う。


 学校で習う歴史の印象が、その出来事の実際とピタリ一致するような歴史的事件というのは存在しないのではないかと思う。 考えてみれば、当時の人が当時の社会で、当時の知識水準や文化基準の中で考え、行動した結果を、今の我々が今の知識水準と文化基準で判断を下しているのだから、妥当な評価が下るはずもない。

 何があったか知らなければ、その内容を知ろうとすら思わないのだから、学校の授業に意味が無いとは言わないが、結局教科書の枠を出ないのであれば誤った印象を持ったままなわけで、それくらいなら知らない方がマシなんじゃないかとも思う。


 というわけで、地動説も天動説もろくに説明できない我々現代の一般人は、こういう本を読んで、謙虚に歴史を学ぶことにしよう。
  

2016-01.28 Thuパズルの国のアリス 2016年3月号

Time[21:38] Comment[0] Trackback[0]
 分かりそうな時しか答えないヘタレぶり。 というか、最近真面目に考えてないので、解けるかどうかも分からない。

問題はこちら

問1

 登山をするのに、1日目はSを10時に出発して16時にGに到着し、2日目はGを10時に出発して16時にSに到着する。 行きと帰りのルートが同じである場合に、『ちょうど同じ時刻に同じ標高の地点にいた瞬間がある』 だろうか。 ただし、登山中はルートから外れない限り、来た道を戻ってもいいし、歩く速度は自由で、止まって休むのも自由である。

解答1

 同じ日にSとGからそれぞれ出発する2人を考える。 この2人が目的地に到着するためには、ルート上のどこかで少なくとも1回は出会わなければならないのは明らかであり、それはまさに 「ちょうど同じ時刻に同じ標高の地点に」 いるということである。

 これが成立するためには、同じ日であることは必要ないので、1日目の行きと2日目の帰りでも、ちょうど同じ時刻に同じ標高の地点にいた瞬間があることになる。



問2

 別のルートを行く2人が、Sを出発してからGに到着するまでの間、どの瞬間にも同じ標高にいるようにすることはできるだろうか。 ただし、どちらのルートにも、Sより低い地点やGより高い地点はないものとする。

解答2

 ルート上にSより低い地点や高い地点がある場合、その地点と同じ標高が相手のルートになければ、当然問いの条件を満たすことはできない。 また、最低点と最高点を共有していたとしても、一方がスタート直後に上り、一方が下るようなルートだと、やはり同じ標高を維持しながらゴールすることはできない。 勿論、上手くルートを設定すれば、可能な場合もあるので、グリフォンが 『無理かもしれない』 といったのはざっくりいって正しい。 



 さて、問いの条件では、スタート直後は2人とも必ず山を登ることになる(S → a)。 そのまま登り続けるだけでゴールに到着するルートであれば、問いを満たすのは明らかである。

 そうでなければ、1が尾根に(図ではa1)たどり着き下り始める。 この時、2はa2にいるため、来た道を戻ることになる。 1が谷底に着くと、再び2人とも登り始めるが、今度は2が尾根にたどり着き、1がb1から来た道を戻る。

 ということを繰り返していけば、最終的には2人ともゴールに辿り着くことができるだろうことは直感的には分かるのだが、相手を進めるためにお互い戻り合ってしまって、いつまでもゴールすることができない事態が起こることはない、ということを分かりやすく説明することができない。

 今更だけど、私は大学数学全然理解できなかったからなぁ。 1年の時に遊び呆けて基礎を習得できなかったから、それ以降が分かるはずもなく。 ここ数年、日経サイエンスを読むようになって、もし研究者になっていたらと思うことはないけれど、大学でもっと勉強して知識を身につけておくべきだったことは痛感するよ。

 と、投げっぱなしで終わる。